二子玉川心理ケースワークオフィス

ネガティヴを手放す

何故、私たちはオギャーと泣いて生まれてくるのか?

肺呼吸の始まりだからと言われていますが、そうであれば大笑いで生まれてきても良いはずなのに、なぜ、泣いているのでしょう?
私は人の最初のネガティヴ体験と考えています。 聞こえていた母親の心音が遠のき不安になり「ママどこー」と泣いていると言う説がありますが、狭く苦しい産道を通り、 臍帯(Umbilical cord)から肺呼吸への強制的転換! そんな状況を誰が笑えるか!「死ぬかと思った」「どこだよココ」「聞いてないよ」と言う話ですよね。 もう泣くしかない、だから号泣なのではないでしょうか。

私たちはネガティヴを基本としている

生まれて直ぐにネガティヴ体験です。なぜネガティヴか、それは「今を良いと思っていない」「自分には何もできる力がない」「現在を否定的に捉えている」ためです。
お母さんはいるのに「いない」と思うネガティヴ
生きているのに、「死ぬ」のではと言うネガティヴ
愛されているのに、「愛されていない」と思うネガティヴ

変えるのは、後ろのネガティヴな思考

私たちは目の前で起きた事に対して、〇〇だから××と反応します。
前者の〇〇は起きた事実、後者××は私たちの思考であり判断です。
「失恋した」から寂しい、そして私はダメな奴だ。
「受験に落ちた」から悲しい、そして私はダメな奴だ。
「失恋した」ことも、「受験に落ちる」ことも、ただの事実です。
「雨が降っている」「雪が降っている」「晴れている」と同じ事実です。
しかし、その後ろについている、寂しい、悲しい。そして、レッテル張り的なダメな奴だという判定(ジャッジ)がネガティヴなのです。
ネガティヴなのは起きている事実ではなく、その事実に対する思考なのです。

目の前の出来事の本当の意味を知らずにいる

何故、私たちは、雨が降っても、「もうダメだ2度と晴れた日は来ないに違いない。」とは思わないのでしょうか。
それは、必ず晴れる日が来ることを知っているからです。
私たちは、知らないの(忘れているの)です。
たとえ失恋しても、それは自分がダメだと言う証明にならないことを、そしてその事が、次のステージの入り口になることも。
たとえ受験に落ちても、私がダメだと言う証明にならないことを、そして、その事で次のステップに上がったことも。
勝手にネガティヴに捉え落ち込んでいます。そして、その事に対して執着が起きます。執着が起きると、そこに留まり思考も停止し反芻状態になり全てが先延ばしになります。

ネガティヴを作っているのは自分

だからこそ、ネガティヴに捉えることを手放すことが重要です。
事実に対して、どんな気持ちや感情で捉えているかチェックしてください。
ネガティヴに捉えているようでしたら、手放しましょう。
無理矢理ポジティブになる必要はありません。
ネガティヴを作っているのは自分です。

ネガティヴは手放せます

「これはネガティヴだから手放そう。」そう思うだけで大丈夫です。簡単ではないですが、難しくもありません。徐々に心が落ち着き強くなっていくでしょう。
ネガティヴな思考と感情のチェックと手放し方が難しく感じる方は、是非カウンセリングをお受けになられてみてはいかがでしょうか。
お待ちしています。

※ネガティヴとポジティブは一般的にネガティヴが消極的、否定的。ポジティブが積極的、肯定的の意味となります。 また、ネガティヴは分離、ポジティブは統合を表します。